環境社会学・環境倫理研究者 福永真弓(東京大学大学院・新領域創成科学研究科・准教授)

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活動報告

『なもなき流れ』開催に寄せて

2023.05.29イベント

 

水という生活インフラは、都市化や再開発が進むほど、わたしたちの生活の範囲から見えなくなります。わたしたちは毎日水を利用しますし、雨が降れば水に濡れます。しかし、その水がどこからどうやって家の蛇口までやってくるのか、家で使われた後の水がどこに向かうのか、降った雨水がアスファルトをつたってどこに行き着くのか、あまり考えずに水を使っています。人間の土地利用を優先した結果、小河川や湿地、湧き水などは埋め立てられ、あるいは暗渠化され、まとまった量の水を目にするのは、住みよい町にするためにつくられた公園の池などの親水空間など、水を意図的に配置した場合に限られます。それ以外に表出する水は、豪雨や水害などの禍としてわたしたちの前に現れます。生活インフラとして整えられた水は、平生は「見えないこと」があたりまえなのです。

 

わたしたちがこの展示会で試みるのは、見えなくなっている水を知覚し、関心を寄せてみることです。見えないことは無関心を呼びます。見えないように整えられた水インフラは、水に対して無関心でいることを生み続けるシステムという側面も持っています。水インフラへの無関心は、気候危機の時代においては、むしろリスクを増大させるシステムになりかねません。かつてない雨の振り方や、それによる予期せぬ地形変化が日本列島におこりはじめているなか、整えたはずの水インフラもまた、変容する気候に適応し直さなければならないからです。

 

無関心でいることから、一歩踏み出すために、わたしたちが流域の中に暮らしていることを知覚することから、見えなくなっている水の循環を認識することからはじめてみたいと思います。流域とは、降った雨が大地を刻んでつくりだした、河川、湖沼、地下水などを含めたひとまとまりの水系と、その水系のある領域の大地のことを指します。地球の水循環を支える一つ一つの細胞がそれぞれの流域ということもできるでしょう。流域は、上下水道、アスファルトや宅地で大地に浸透できない雨水を導く雨水排水、河川の形や幅を変える河川管理など、わたしたちがつくった人工構造物とハイブリッドとなっています。

 

わたしたちは、どのような流域のなかに身をおき、生活しているのでしょうか。この展示会を通じて、わたしたちが暮らしている流域と水循環について思考をめぐらせ、足を伸ばして水の流れを追う探索心がみなさんに芽生えることを願っています。

福永真弓

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